今昔物語 スタッフ 佐久間舞 VOL.2

前回は、幼稚園までののびのび食いしん坊時代のお話でした。

小学校に入ると、「男子」「女子」の区別がはっきりするからでしょうか、刀はすっかり納めて、少女漫画(主に「りぼ〇」)を熟読、よく真似てキラキラ目の女の子を描いていました。
入学と同時に始めた水泳がわりと向いていたようで、5年生頃まで友達と一緒に楽しく通っていました。
帰りに必ず買ってもらうアイスやお菓子が目的だったという説もあります。(まじめに泳いでいたのにわがままボディを維持していたし...)

水泳を辞めたあとはミニバスケットボールのチームに入り、友達も増え、チームでワイワイやる楽しさを知ることができました。(しかし決してやせることはなく...)

そんな体型なので、学校では男子にからかわれたり悪口を言われたりしました。
が、身長もパワーもあり、勉強もそつなくこなすいわゆる「優等生」だったのでそれ以外の弱みもなく、何より母に「悪口を言われたら『それであんたに何の迷惑をかけたの?』と言ってやりなさい」という教育(?)を受けていたために、全くめげることなく過ごしていました。(母強し...)

母は口癖のように「わたしが賢く産んだのよ」とも言っていて、基本的に口うるさくは言わないけれど、「強くあれ」「優秀であれ」「人に迷惑をかけるな」が良くも悪くも無意識レベルに刷り込まれたのがこの時期だったように思います。

ただ一つ、非常に苦手なことがありました。
優等生の意味をどこで履き違えたのか、授業中にトイレに行きたくなっても先生に言い出せなかったのです。

あれは確か小学校2年生のとき、忘れもしない「生活科」の授業で校舎わきの畑で作業していたときのこと...。
例によってお腹の雲行きが怪しくなってきても先生に言い出せず、苦しんだのち、ついに決壊のときが訪れてしまったのです!!
幸い少量で(汚くてすみません)済んだのですが、真っ白なズボンを履いていたせいか先生がすぐに気づき、無事トイレに連行されました。。。
あの日の体操服姿の帰り道は一生忘れません。

当日母への電話で先生が「エリートなマイちゃんだからこれくらいのことは大丈夫ですよ」的なことを言っていたらしく(何が大丈夫なんだ)、低学年にして「エリート」という言葉を学ぶとともに、以後その単語を聞くとむずがゆい感覚が呼び起こされるようになるのでした...。

お察しの通り、我が家では母が絶対君主、父はかなり虐げられた下流階級的な扱いでした。
とても不仲の一言では済ませられないくらいだったので、せめて自分が優等生でいることで、「まともな家庭」という表向きと家庭内の平和を少しでも保とうとしていたようにも思います。
グレなかったわたし偉いぞ!

次回は思春期真っただ中、人目や評価を気にして自意識過剰になった結果、悲しくも消極性をきわめてしまう中学生編です。


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