心と体を置き去りにする「思考」

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2019年10月開催 心と体の勉強会 音声テキスト No.2

心と体の感覚を大切にしましょう

人は無意識に筋肉を緊張させている

それ(自分の無意識の緊張)を知る簡単な方法があるんですけど…皆さん、膝の上に両手を置いてください。
その手を僕がとって持ち上げます。
(参加者Aさんの手をとって)ほら、自分で上げているのが分かりますか?力抜いてくださいね。
普通は肘が自然に曲がるんですが、自分で伸ばしてしまっています。
こういう感じで、力が入っちゃうんです。

まずは「力が入っているんだ」ということを認識して欲しいんですね。
これは無意識に、皆さん配慮がある人なので、僕のお手伝いをしちゃっているんですよ。僕に負担をかけちゃいけないなと思って。
日ごろの抑圧や筋肉緊張はこうやってしているんです。
とくに、「他人に配慮する人」というのは、僕が何かやろうとしたときに手伝っちゃうんです、無意識に。

つまり、無意識に皆さんはいろんな人の手伝いで筋肉を緊張させちゃっているんですよ。
気づかないですよね。でも今わかりましたよね。
今みたいに、いつも力が入っているんですよ。これは結構多いですね。
ずっと手を上げていたらそりゃ辛いですよね。
もちろん、力が抜けている時もあるんですよ。

でも、何かあったときに、グッと力が入っている。
で、その力というのは、抑圧で筋肉を緊張させたままになっている。
そうすると、(外に出せていない)エネルギーがどんどん溜まってくるので、体は「動きたい」となる。
それでけいれんが出てくるんですね。そのけいれんは病院で診てもらいましたか?

参加者Aさん「心療内科とか行ったんですけど…ほかの病院とかには行くのが怖くて。人の目が怖いので。違う場所とかに行くのも怖いので。うつ病の前にパニック障害と1回言われたりとかして。パニック障害を検索していくと、『電車の中が怖い人』とかって出てくると、自分もそれかと思うと、自分がそれにはまっていってしまうみたいな感じで…悪循環になってきて。電車の中は大丈夫だったのに、今度は電車が怖くなってきて。で、他の人の症状を聞くと、『私は車がダメで』とか聞くと、車も怖くなってくるんじゃないか、みたいな感じなので…。本を読んでもダメだし、うつ病に関していろいろ知識を得ようとしても、他のことが入ってくるともっと苦しくなっていく気がするので、それで疲れてきちゃって。良かれと思ってやるんだけど、それで良くなっていかないような気がしてきて…」

心と体が置き去りにされている

それに関して、ちょっと説明しますね。
これは皆さんにも共通していて…今のは「思考」ですよね。
「こういうのがいけないんじゃないか」とか。

「思考」と、あとは「感情」と「動き」というのがあるんですね。
簡単に言うとそれぞれ、「頭」と「心」と「体」ですね。
で、先ほどのお話だと、今「思考」がものすごく働いちゃってて。本来の体の動きとか自分の感情まで、「思考」がコントロールしちゃっているんです。

本来、頭と心と体に主従関係はないんですね。みんな平等。
だけど、なんで思考で、本で読んだこと、人から聞いたことが心や体に流れてきちゃうかというと、いつも「思考」が優先されているからです。
つまり、「考え」で動いちゃう。

でも、子どもの頃に「あんた、もうちょっと考えなさい」とかいっぱい言われているので、人は考えちゃうものなんですけど。
体は本当はどうしたい?
気分は本当はどういう気分?
ということってすごく重要なんです。

多くの人は、体の感覚とか体で感じていることというよりも、思考を優先させちゃうんですよ。
気持ち、心に思っている気持ちよりも思考を優先させてしまう。

先ほど、お腹空いてますか?ここでご飯食べますか?と聞きましたよね。
動きとしては、ご飯食べたいんです。
でも、思考で「ここはご飯を食べる場所じゃないよ」と言っているわけです。
これは、社会で生きていると必ずなるものです。

なので、「思考」が主人公になって、「心」や「体」が付き人みたいになっちゃう。
そうすると、先ほどのように、「本に書いてあったからそうなるかもしれない」というと、体がそう動いてしまう。
だから、大丈夫だったのに電車に乗ったらいきなり息苦しくなっちゃう。いきなり不安になってきちゃう。

なので、体の感覚とか自分の気持ちとかを、充分に日ごろから感じる必要がある。

体の感覚を感じてみる

体の感覚って例えば、今、右腕と左腕、どっちが重たいですか?ちょっと意識してみてください。
なんとなくで良いんですよ。
これは答えなんてどうでも良いんですけど、合っている間違っているはどうでも良いんですけど、そういう感覚を感じようとしたことってないですよね、今まで。

例えば、顔の右半分と左半分、どっちが温かいか。よく感じようとしてみてください。
今度はもう少しわかりやすいやつで、右のお尻と左のお尻で、どっちに体重がかかってますか?
これは真ん中にしてくださいということではなくて、「こっちに55、60パーセントくらいかな」「こっちに62パーセントくらいかな」という風に、感じることが重要で。
日ごろこんなことを感じながら座っていないし、そんなこと関係なく顔を洗っているわけですよ。
体の感覚を無視して、「思考」にいっちゃっているわけですよ、いつも。

例えば「姿勢が悪い」というけども、それが本当に姿勢が悪いのか、ということなんですよ。
人によっては、その姿勢が今すごく楽な人もいるわけですよね。
背筋をまっすぐに伸ばしているのが姿勢が良いのかというと、一般に言われる姿勢としては良いかもしれないけど、その人の体に良い姿勢なのか、ということなんですよ。
背中が丸まっていた方が、その人にとっては良い姿勢、楽な姿勢、自然体ということがあるわけです。

なので、「体は今どうしたいのかな」ということなんですよ。
そうすると皆さん、今どんな姿勢をとりたいですか?
自然と、僕らというのは、こういう勉強会みたいなところだとちょっと緊張して背筋伸ばしてとかなりますけど、そんな緊張状態だと、思考ばかり働いて体の感覚がわかんなくなっちゃいます。
なので、自分の体の感覚、楽な位置ってどんな感じか。

それともう一つ、自分の感覚を感じてみてくださいね。
僕がここに行くと(椅子から立ち上がって、座っている参加者の目の前に立つ)どんな感じですか?
離れて立つとどうでしょう?感覚が違うのがわかりますか?
圧迫感ありますよね。落ち着かないですよね。
この体の感覚というのは、今は大げさにやりましたけど、常にあるものなんですよ。
さっきの状態で体はどうしたいかというと、離れたいんですよ。

それが最初に言っていた「行動」なんですよ。
僕が近づくという刺激に対して、ちょっと距離をとるというのが行動で。
でも例えば、嫌いな上司が近づいてきたとして、逃げられるかというとそういうわけにはいかないですよね。
近所の人が「○○さん!」と言って近づいてきたけど、嫌いだからといって「近づかないで」とは言えないですし。

だからまず、「行動を抑圧しやすい」というのは知っておかなきゃいけないのと、もう一つ、我慢し続けると、自分の体の感覚が分からなくなっちゃうんですよ。

ある患者さんでいます。先ほどのように僕が近づいて行って、どうですかと言っても「うーん…」という人もいるんですよ。
その人は、我慢し続けて感覚がおかしくなっちゃっている。まひしちゃっている。

「失体感症」という、そういう症状があるんですけども。
体感が分からなくなって、下手すると暑い寒いも分からなくなる。
お腹が空いているというのも分からなくなちゃう。なんかフラフラするなと思ったら、そういえば今日ご飯食べていなかったとか。
お腹は空いているんだけど、その感覚がまひしちゃう。

本当の欲求を感じられていますか?

ではなんでまひするのかというと、「行動」のときには必ず「欲求」というのが生まれます。
欲求というのは、満たされると気持ちが良いですね。
「お腹が空いた」というのは「何かを食べたい」という欲求ですね。
だからご飯やおいしいものを食べれば、満たされるわけですね。
「欲求が起きてそれを満たす」ということをやっていると、行動しやすいんです。

ところが、「欲求が出てきたら我慢する」を繰り返していると、なんか辛いですよね、人生が。
そうすると、「欲求を感じなければいいや」という風に無意識になってしまって、自分の欲求が分からなくなるんです。

これでよくあるのが、「やりたいことをやってください」と言われたときに、「やりたいことが分からない」という人が結構いるんですよね。
それは、欲求を我慢し続けてしまったから、感情とか体のほうが欲求がわからなくなるんです。
何を求めているのか、何を欲しているのかというのが「欲求」ですよね。

「やりたいことをやっていいんだよ」といったときに、うつの人の多くは、ものすごく欲求を我慢した人が多いので、というか全員そうなので、「やりたいことっていったい何?」みたいになってくる。
「とりあえず休もうかな」となって休んでいるとちょっとずつ回復しますね。
そのときに、リハビリのために動くんだけど、「やりたいことをやっていいよ」と言われても何をしたいのかがわからない。
これは、さっきの「力抜いてください」と同じで、力を入れるのが無意識で習慣化されちゃっているので、欲求を感じないようにするもの習慣化されているんです。
さっき、最後の方は少し力が抜けてきましたね。やればできるようになるんですよ。
やらないから、できなくなっちゃう。力が抜けなくなっちゃう。

「力を抜く」というのもひとつの能力です。
「欲求を感じる」というのもひとつの能力です。
なので、「何がしたいか」というのを、感じよう感じようと思う、思い続けることが重要です。
そうすると、例えば「左右のおしりに何パーセントずつ体重がかかってますか」と言っても分からない人がいるんですけど、やっていくと、右のほうに体重がかかっているのが分かってきたとか、右の顔のほうがほんのり温かいかもとか、そういうのが分かるようになってくるんですよ。
だから、「欲求」というのは、体の感覚を感じようとしていくと、だんだん欲求も分かるようになってきて。
これが「本当の欲求」で、「思考の欲求」ではないということですね。

心と体の欲求を大切にする

思考の欲求はもう皆さん知っているんです。
だいたい「~しなければならない」とか、「社会的役割を全うしたい」というような話ですね。

例えば、社会人でうつの方が休職していたら、「早く復職して働きたい」と。
でも「体は働きたいって言っていないじゃん」と思うんですけど、本人は「働きたい」「働きたい」と言って。
治ってもいないのに、僕に内緒で復帰するんですよ。
「実は先生…」と言って、また休職してきちゃう…みたいなことになっちゃうんですね。

なので、自分の体が何を本当に求めているのかなと。
思考を優先しすぎて社会で一生懸命生きてきた人ほど、心と体が、簡単に言うとおろそかになっているというか、ケアされていないというか。
なので、心と体もいい子いい子してあげなきゃいけないわけですよ。

そのためには、「自分の体が今何を求めているのかな」と感じてみる。
例えば、「うつにはどんな食べ物が良いですか」と聞かれるんですけども。
うつかどうかは置いておいて、体が今欲しているものを食べれば、健康になるんです。

ところが、「納豆が良いから」とかでスーパーに買いに行くんですけどそうじゃなくて、納豆を体が欲してくるわけです、「あー納豆が食べたいな」と。
「お肉食べたいな」とか「野菜食べたいな」と勝手に思うので、その通りに食べれば良いんですね。
野性の動物たちはみんなそうです。ライオンは肉食ですけど、草とか食べている時もありますね。
野性の場合は食べたいものが手に入るのかという問題もありますけど、ああやって食べたいものを食べていく。
それは、人間の体の中で不足した成分、栄養素と、どの栄養素が何に入っているかというのが無意識に分かっているんですよ。

だから、分かりやすい例だと、ビタミンCが足りないなと感じたらレモンとかオレンジとかを食べたくなるんですよ。
足りないと感じるものを自然と食べたくなっちゃう。
だから、その通りにしてあげる。
その時に、「納豆が良いって言うから」とかやっていると、全然関係のないものを食べちゃているわけです。
もちろん、納豆は体に悪いわけではないので、いいんですけども。

重要なのは、頭(思考)、心(感情)、体(動き)全部を大事にしてあげるのが、「自分を大切にする」ということで、思考を大事にすることが自分を大事にするということではないんですね。
全部ひっくるめて大事にして、それぞれの欲求をちゃんと満たしてあげるということが、重要です。

心と体をブロックする筋肉

思考ばかりを優先させていると、体や心がストライキを起こすわけですよ。
心と体は「自分たちの言うことも聞け」という風に言っているんだけど、思考と心・体のあいだをブロックして、体から頭に行く道と、心から頭に行く道をブロックするわけです。
そうすると頭、思考だけで生きていけるから。
このブロックをするときに、また筋肉が緊張するんですよ。

心と頭のあいだでは、のどの筋肉を緊張させます。
体と頭のあいだでは、首の後ろのほうの筋肉を緊張させます。
のどというのはゴムホースみたいになっていて、のど全体が筋肉です。緊張するとキューっと細くなります。
自分の感情が出てきて、例えばイヤな人に向かって「あんた気持ち悪い」って言っちゃまずいので、キューっとのどを締めるわけです。
それで言葉が出ないようにするんですね。

でも、のどというのは他に何が通っていますか?空気、息が通っているわけですよ。
そうすると、のどが締まると、息苦しくなる。
ほとんどの「息苦しい」という症状の元というのは、これなんです。

自分の感情がストライキを起こしてワーッと言ってくるのを、のどでグワッと締めるわけです。
そうすると息苦しくなって、なんか息が吸えない。
息を吸っちゃうと、頭のほうに行く道が通っちゃうので。そうすると気持ちが出てきちゃうから、情緒不安定になってきちゃう。
本当は情緒不安定のままにさせてあげれば良いんだけども、情緒不安定というのがいけないことだと思っちゃっているから、「ちゃんと情緒を安定させなきゃ」となって、のどをキューっと締めるわけです。

なので、「ヒステリー球」と言われたりとか、飲み込みづらいという症状が出たりするというのは、ここをブロックさせて、自分の気持ちを隅に追いやって、なかったことにしようと思ってのどをキューっと締めている。
そうするとどうなりますか?なんかむせたり、咳が出てきたりするんですね。

その時、一瞬のどが開いているんですよ。
咳って確かに苦しいし、下手するとのどから血まで出てきたりしますね。
だけど、のどを広げようとなんとかしているんですよ。
吐き気ってありますよね。吐き気も、(のどが締まって)空気が通らないから、ものを通そうとするんですよ。

つまり、食べたものを通してのどを広げようとしているわけです。
だから、過食症の人は、食べて吐いて、食べて吐いてなんですよ。
吐くときに、のどが開いてすごく気持ちが良いので。
のどは自律神経が支配しているので、吐くときには反射で広がっちゃうんですね、自分の意思とは関係なく。
それをちょっとやりたいなと思い始めるのが、いわゆる「吐き気」です。
これもだから、「症状」というのは良いことで、吐き気なんて吐いちゃった方が良いんです。げっぷもおなじことです。

大きな声を出すというのも、のどを開くのにとっても良いことなんです。
でもそれは対症療法のひとつでしかないので、心を感じるというのが重要で。
我慢しなければいけないことも当然ありますけども、心を感じて、怒りを感じたとして、じゃあ怒っていいかというとその状況は限られてきますので。
なので、怒っているということが分かったら、「私は今怒っているんだ」と感じて。
あとで、そのエネルギーを出さなきゃダメなんです。

これがいわゆる「ストレス発散」です。
愚痴を言ったり、けがをしないような状態で、クッションとかを壁に投げつけたりでも良いわけですよ。

そうやってエネルギーを発散するということが、壺の蓋を少しずつ開けていく。
開けっ放しだと、社会の問題児になってしまうので。
閉じて開けてを、意図的にやる必要があって。
「あー開いちゃった」というときには症状として出てきちゃう。
なので、いかに開けてあげるかということが、重要なんですね。


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